婚姻届は受理されていた

題目通り。
免許書き換えのために新姓の住民票ももらった。請求用紙に初めて新しい名字で氏名を書いたら、小学生の頃好きな男子の名字に自分の名前くっつけて書いて恥ずかしくなってすぐ消した時の甘酸っぱい気持ちよみがえった。恥ずかしかった。新妻だよ。いえーい。

「翻訳がつくる日本語 ヒロインは「女ことば」を話し続ける」を読んだ

 

翻訳がつくる日本語―ヒロインは「女ことば」を話し続ける

翻訳がつくる日本語―ヒロインは「女ことば」を話し続ける

 

 前々から気になっていた。なぜ翻訳の中の女性は「よ、わ、かしら」とかの日常使わない女らしい語尾が使われているのか。男性は「やぁ、○○かい、○○さ」などのキザな話方をするのか。

 

女言葉は、明治の女学生が使っていた「てよだわ言葉」が元になっている。明治時代に西洋の文学を翻訳する際に、西洋娘の言葉としてハイカラな女学生に使われていた「てよだわ言葉」が採用されて、その翻訳小説を通して「てよだわ言葉」が普及した。

日本人の日常では年配の女性以外で死語と言える女ことばが今も翻訳で使われ続ける理由としてあげられているのは、日本人が持っている女は女ことばを使うものという思いこみが翻訳に影響を与えているということ。そして、長年翻訳の中でヒロインたちは女ことばを使うという常識が共有されつづけた結果、死語になった現代でも翻訳では女ことばを使うことがあたりまえになってしまった。女ことばは西洋の女性らしさと結びついて、日本人の中では使われなくなっても翻訳の中で保存されている。

 

男性の翻訳における「やぁ、○○かい、○○さ」はなぜ使われているのかは、読んでもわからなかった。「やぁ、○○かい、○○さ」は日本人の中では使われず、あくまで<翻訳版・気さくな男ことば>であって、この言葉には「話しているのは日本人ではない」というメッセージが含まれていることは読みとれた。

でも、昔の邦画を観ると、日本の若者が「やぁ」とか言ってると思うんだけど。「日本人ではない」というメッセージが含まれるようになったのは最近のことなのか?

昔の日本人の中では「やぁ、○○かい、○○さ」式の言葉が日常使われていたのか、翻訳でだけそもそも使われていて、昔の邦画はそれを逆輸入する形で使っていたのか、どっちなんだろ。そこが知りたい。

5月11日

あまりにいい天気なのでお散歩する。
一ヶ月前にお花見した近所の公園がすっかり葉桜になっている。木陰のしたでベンチとテーブル占領して和んでるご老人グループがお花見のとき見かけた面子と同じだった。あのおじいさんたちいつメンだったのかと気づいて嬉しくなる。私も昼酒飲むいつメンが欲しい。

5月8日

昨夜寝付いたのが午前3時頃だったので一日非常に眠い。他社の人との打合せしながらうつらうつらしてしまい、夢の中でも同じ人と打ち合わせしてたのでどこまでが現実でどこからが非現実かがわからない。課長が勘違いしたまま話を続けてたので「あのサーバー作ってくれたの別の会社の人ですよ」と口を挟んだところでようやく目が覚める。これが現実の出来事かもよくわからない。

そのあと続けて課内の打合せで、眠気防止のために手帳のマンスリーカレンダーの給料日に¥マークを一年分書き入れる。終わったらやっぱり眠いので自分の誕生日を書き入れ、彼の誕生日を書き入れようとしてやっぱりやめる。

5月5日

明け方大きめの地震があり、横で寝ていた彼が身を挺して守ってくれたので嬉しくてここぞとばかりにがしりと掴む。後から聞くと、でかい本棚が倒れて来そうなのに何でこいつホールドしてくるの死ぬって思ったとのこと。
阪神大震災当時は震度7の中熟睡してたのに、震度5弱で目覚めてしまった。年を取った。

早起きして江ノ島に遊びに行くつもりが地震からの二度寝で起きたら9時半だったので起床早々気持ちが萎えた。雨もやいだしまた地震きて津波きたら江ノ島沈むしって無精の理由をあれこれ探し出し彼とお出かけ中止を合意して三度寝。

暇なので昼から近所の百貨店をふらふらする。屋上が心地よくてうっかり縁日気分でビールを買ったら急に雨風が強くなってガタガタ震えながら吹きさらしの中昼酒。降れば降る程江ノ島行かなくて賢明だったという気持ちと、なぜこんな過酷な環境で生ビールを飲まなあかんのやという気持ちが交錯する。そのあと酒でぼんやりした頭でユニクロに行きシルク100%のワンピースを買う。完全に勢い。彼は北海道物産展でロイズのチョコを大量購入。

「ルビー・スパークス」を観た

 

 

Amazonインスタント・ビデオにて。

「(500)日のサマー」が好きなんだけれど、それと似ている(作っているスタジオが同じ?)ということで興味持って観た。

 

10年前に大ヒット作出したまま2作目が書けない29歳の男性作家が、夢で見た理想の女の子の小説を書きはじめたらその女の子が恋人として現実に現れる。しかも、男性がタイプライター(舞台はiPhoneのある時代だけどタイプライター)で小説の続きを書くと彼女を意のままに変化させることができるのだった。

 

ヒロインがサブカル男性受けしそうな女の子って点では確かに(500)日のサマーと似ているかも。くそかわいい私もこんな女の子になりたかったよ。デートの日々で浮かれてるシーンが良かった。クラブで踊りながらパンツ脱いじゃったり。ずるい。

 

意のままに操れる理想の恋人が現れるってストーリーだと、普通に考えたら、自分の思い通りに出来ても現実は上手くいかない、人の心はお互い思う通りに出来ないからこそ世の中は廻るし恋は尊いのだって話になりそうなんだけど、まぁ、本当にそういう話です。

 

クライマックスが結構オカルト感あって怖かったし、暴力的なまでに嫌悪感じさせられた。オチがちょっと綺麗にまとめすぎだなーぬるいなーって思ったけど、クライマックスの気持ちを中和させるには丁度良かったのかな。