「洋画家たちの青春 -白馬会から光風会へ」観に行った

@東京ステーションギャラリー

 

東京駅に併設されているギャラリー。初めて行ったけど、駅舎の煉瓦壁生かした部屋があったりしていい雰囲気で絵を観られて良かった。

椅子に座っている学芸員ポジの人が皆「元国鉄職員」感あるおじ様で、チョロチョロ動いてるとジロっと見られて少し怖かったw 本当にJR引退された方かはわからないけど……。あからさまに貧乏揺すりしてたおじ様はどうかと思ったり。

 

洋画家たちの青春というだけあって、なんとなく若々しい感じの絵が多かったように感じた。素直で品行方正な感じだった。

 

気に入った絵をメモ。

 

「五葉蔦」 岡田三郎助

着物の美少女の透明感がすごかった。肌の青みが透き通るよう。

 

「秋の園」 矢崎千代二

まだ10歳くらいのお着物の女の子。横顔が非常に色っぽくて良かった。

 

「富士」 小林萬吾

富士山を彩る、昼と夕方の間の少し赤味のある柔らかい光が印象に残った。一番すきな光の色だと思った。

 

「カフェの女」 中澤弘光

ポスターにもなっていた絵。おぼこさの残る女給さんがいたいけな感じで働いている。それを盗み見る客の紳士。あざとい。

 

旭川の夏」 児島虎次郎

一番好きだった。白い光に包まれた夏の海水浴場を俯瞰で描いている。お客は多い。

筆のタッチがざりざり荒い油絵で、近くで見ると何描いてるかわかんないくらいなんだけど、その掴みどころのなさが真夏感じる。風景画もザクザクした油絵もあんまり好きじゃなかったんだけどこれは良かった。

 

「揺籃」 大久保作次郎

年若いお母さんと赤ちゃん、そして少し年上の女性(女中さん?)が緑の多い庭で和やかに過ごしている。あまりに明るい緑の色と、お母さんの母性よりあどけなさが勝る表情が良かった。画集では緑がすごく暗く出ていて、魅力が半減していたのが残念。この展覧会の画集、緑が出てなくて別物みたいになってる絵が多数だった……

 

「横臥裸婦」 小磯良平

小磯良平すきです。裸の女性がまだ若くて、ポーズが堅く緊張感があるところが裸の絵なのにとても清楚で良かった。あと、太股が眩しい。

 

「黒椅子の少女」 鬼頭鍋三郎

赤いツーピースとハーフアップの黒髪がレトロで、描かれた昭和30年代のファッション紙のようだ。少女の顔は単純化されてて表情が読めないし、場所も無機質な事務室のようところで画面は全体的に暗い印象。なんでこの子にいるんだろと思うとおもしろい。

 

「ロリルの踊り」朝井門右衛門

道化師?が二人。楽器とか持ってるけど雰囲気暗いし、踊りってほど躍動感ないし、そもそも踊るには二人の距離近すぎる。夢に出てきそうな怖さだったけど魅力的だった。ロリルってなんなんだろ。

 

「砂の上の植物群」を読んだ

 

砂の上の植物群 (新潮文庫)

砂の上の植物群 (新潮文庫)

 

 買ったまま読めていない本を最近粛々と読むことにしている。

砂の上の植物群」を買ったのは多分大学生のときで、某テキストサイトの萌える文学を紹介するコーナーに取り上げられていたから。何やらえろそうなのを期待して買ったまま6年くらい本棚の隅に放っていてしまった。

 

読んでみると、思ったよりえろくなくてそこについてはやや期待外れ。確かに主人公のおっさんが、セーラー服の女子高生に真っ赤な口紅塗らせてるところ犯して興奮したり、20代前半のその子のお姉ちゃんに妹の制服着させてるところ犯して興奮したり、その状態で姉妹どんぶりしたり、まぁえろいけど、まぁねって感じ。

 

多分主題であるところの、主人公(38歳)が、自分が中学生の頃早世した父親に対してのコンプレックスが気持ち悪くて印象に残った。

父親は、30代前半で現在の彼より若くして亡くなっている。どうやら洒落者で女性方面も派手だったらしい。主人公の妻は、高校生の頃美少女で、父親の絵のモデル(着衣)をしていて、主人公は妻と父との間に当時性的な関係があったんじゃないかと今で

も疑っている。多分それにちょっと興奮してる。

主人公は元夜学の教師で、教え子の女子高生に恋したことが原因で退職しているんだけど、その子とのことを考えると、かつての父親と若いころの妻との関係も重ねてしまいもやもやする。多分それにちょっと興奮している。

そしてさっきの姉妹どんぶりのお姉ちゃんの方が、実は父親が芸者に産ませた子ではないかという疑惑が浮上する、そのあと、実は違ったということが分かるんだけど、あからさまにがっかりしている。

なんなの?とーちゃんとやりたいの? なんなの??

父親と重なり合いたい気持ちが気持ち悪くって、いい気持ち悪さだった。

 

しかしながら一番心に残っているのは、序盤で主人公の学生時代の友達が電車で痴漢した女の人に警察へ突きつけられて、釈放されたのちに語っている痴漢哲学なのだった。

 

大学生の頃、僕はずいぶん痴漢的行為をやったものなんだ。誰にも言わなかったけれど。いや、その行為が僕の青春だったともいえる。  

 電車が目的地に着くまでの、掌と軀の部分だけの関係で、それ以上を求めないのがエチケットとも言えるね。

 一晩留置所で考えたが、電車の中の行為はやはり青春の時期に属すべきものだ、と分った。その時期には、痴漢的だが、痴漢ではない。現在では痴漢になってしまう……

 

もう何がなんやら!!!

 

ブログとか久しぶりすぎる。文章かくのってむずかしいのね。がんばろ。